Hallå! (スウェーデン語でこんにちは。英語のHelloです!)
現在はスウェーデン在住でスウェーデン語を勉強しながら日々奮闘しているアラフォーです。先日、パートナーの家族旅行でフィンランドのオーランドへ行ってきました。
オーランド(Åland)旅行の発端、旅の目的
毎年恒例のイースター旅行

パートナーの両親は、毎年、家族でのイースター旅行を企画しています。私もパートナーとお付き合いが始まって翌年から参加させていただき楽しい時間を過ごしてきました。
大抵、クリスマスで家族が集合したときに、次の年のイースター旅行の行き先のヒントが与えられ、招待のお手紙がイースターの時期に届きます。実際に旅行するタイミングは、イースターの後になるのですが、家族でこの旅行を Påskresa(ポスク・レーサ/イースター旅行)と呼び、毎年の楽しみになっています。
ちなみに前の年に開催されたイースター旅行については、過去の記事に書いていますので、もしよかったらこちらも覗いてみてくださいね。
今年はオーランドに決定、でもダニ情報が心配だった
今年の旅先はオーランド(Åland)でした。私は行ったことも聞いたこともなく、地図を見て「ほうほう、ここなのかぁ。フィンランドだって!初めてのフィンランド!」と心ウキウキ。するとパートナーが「初めてかぁ、それじゃあ楽しみだね、きっとフィンランド感を存分に味わえるね!」と言ってくれました。これがジョークまじりだと私が気づいたのは、現地に着いてからのこと。オーランドをご存知の方はピンとくるかと思いますが、そうでない方でもこの後の内容で、どういうことかお分かりになるかと思います。
また、この年はニュースでよく取り上げられましたが、マダニが例年よりも多く発生しているとのこと。出発前にパートナーの両親から「気温調整のためだけでなく、マダニ対策も考えた服装で」とのアドバイスを受けていました。ワクチンで対策することもありますが、私がダニのニュースを思い出して心配し始めた頃は、ワクチンを接種するのに手遅れの時期だったので、出発が近づくころにはドキドキしていました。
フィンランド領オーランドとは?
オーランドの位置

オーランドは、スウェーデンとフィンランドの間、バルト海の多島海域に位置するフィンランドの自治領で、約6,500の島々から形成されています。
人口は約3万人ですが、ほとんどの島が無人島。通貨はユーロ。ただ、使用される言語はスウェーデン語。
フィンランドなのか、スウェーデンなのか、ちょっと混乱しちゃいます。いったい、どういうことなのでしょうか。
オーランドのざっくりヒストリー
今回の旅行やブログ執筆において、オーランドを知るために、フィンランドとスウェーデンの歴史を振り返る必要がありました。歴史が苦手な私は、日本の学校で北欧の歴史をどこまで学んだか定かではありませんが、おそらく軽く触れられただけかもしれません。
というわけで、この度、自分なりに少し調べてみました。ざっくりとですが、フィンランドとスウェーデンの歴史を一緒に見ていきましょう。
まず遡るのは十字軍の時代。特に12世紀に始まった北方十字軍(またはバルト十字軍)のころ。これは異教徒に対するカトリック諸国による遠征でした。それによって、フィンランドの西側はキリスト教化されていったのです。一方、東側ではノヴゴロド(Novgorod)という現在のロシアにあたる国からの制圧がおこなわれており、そのため、スウェーデンとノヴゴロドは度々衝突。1323年に両国の支配下エリアの境界線を定め、以降およそ500年ほどフィンランドの西側はスウェーデンの一部として歴史を歩んでいくこととなりました。
次の大きな歴史的イベントは1809年。スウェーデンの支配下にあったフィンランドが、ロシアに取られてしまったのです。
それから1917年のロシア革命。長らくロシア領だったフィンランドが独立を果たします。ただ、オーランドに暮らす人々は、スウェーデンとの再結合を望んでいました。その意向は汲み取られ、スウェーデン語がオーランドの公用語として守られることとなったといいます。

1953年。オーランドは自分たちの旗を与えられました。スウェーデンの国旗をベースに、フィンランドの国の紋章に使用されている赤が入ったデザインとなっています。
1995年にフィンランドとともにオーランドは EU に加盟。2002年にフィンランドの通貨はユーロに変更されました。
オーランドは小さな島々からなっていますが、長年に渡ってかなり世界の歴史の影響を受けてきたんですね。こちらで紹介した歴史はかなりざっくりしているのですが、もっと細かく掘り下げると、スウェーデン・ロシア間、またスウェーデン・デンマーク間での様々な戦争が行われた場所のひとつでもあるとのことです。
歴史についての参考情報:
・『オーランド諸島について』(Åland travel ウェブサイト)
・『Åland history』(Visit Åland ウェブサイト)
・『History of Finland』(Info Finland ウェブサイト)
さて、次の章からは、いよいよオーランドでの私たちの過ごし方についてです。滞在中は、戦争の痕跡が残された場所にも行ったので、この歴史を思い出しながら読んでいただいてもいいかもしれません。
オーランドへの行き方と私たちの過ごし方
スウェーデンからオーランド諸島への行き方
まずはオーランドまでの行き方をご紹介。
スウェーデンからオーランドへは、以下3通りの行き方があります。なお、オーランドに到着したら、スウェーデンとの時差は + 1時間となります。
- 🇸🇪グリッスルハムン(Grisslehamn)から🇦🇽エッケロー(Eckerö)まで約2時間:エッケロー・ラインのフェリー
- 🇸🇪ストックホルム(Stockholm)から🇦🇽マリエハムン(Mariehamn)まで約5.5時間:ヴァイキング・ラインまたはタリンク・シリヤ・ラインのフェリー
- 🇸🇪カペルハー/カペルシャー(Kapellskär)から🇦🇽ロングネス(Långnäs)まで約3.5時間:フィン・ラインのフェリー
所要時間の参考:『Planera din resa till Åland』(Visit Åland ウェブサイト)
私たちは「1」の行き方を利用。


車ごとフェリーに乗り込む人が多いみたいです。観光バスで乗り込む人たちや、乗り物なしでフェリーに乗船する人たちもいました。


エッケローに着いたら私たちが泊まるエリアへ。車で5分ほどで、いろいろなタイプやサイズのコテージが並ぶ宿泊施設に到着しました。
オーランドでの私たちの過ごし方(オーランドに到着、1日目)

オーランド旅行は2泊3日でした。宿泊したのは2階建てのサウナ付きコテージ。広々としていて快適に過ごすことができました。私たちがチェックインしたのは18時過ぎ。各自どの部屋で寝るか、ベッドを確保して笑、少し休んでから夕食。


夕食はパートナーのお母さんが用意してくれたタコス!スウェーデンでは定番のタコス。みんなで一緒に食べるの楽しいんですよね。
夕食後は周辺をお散歩。20時ごろですが、まだまだ明るい5月中旬のオーランド。天気予報では雨や強風、基本も5度前後になるとかいう話でしたが、晴れ女・晴れ男が何人もいたのかな?というくらい、ほとんど晴れのいい天気の中過ごすことができました。「サングラス絶対いらないよね」と出発前に話していたのを大後悔した私たちなのでした。



散歩を終えると、サウナを利用したい人、行きの長旅で疲れた体を早々に休ませたい人(4時起きの人もいたので・・・!)それぞれの時間&就寝となり1日目は終了。
写真好きの私ですが・・・サウナの写真撮るのすっかり忘れてしまいました〜。
オーランドでの私たちの過ごし方(2日目)
翌朝は、オートミール粥とクネッケブロード(クリスプ・ブレッド、クラッカーのような薄い乾燥した北欧のパン)で朝食。
オートミール粥はパートナーのお母さん手作り。実は今回の旅行の主役は彼女。誕生日のお祝いを、この旅行中にみんなでしたのです。ゲームが大好きなお母さん。いつもはこのイースター旅行や、クリスマスにみんなで遊べるゲームを企画してくれるのですが、今回は逆で、みんなで彼女のためにゲームを考えるというのがお祝い内容としてのリクエストでした。この話は後程するとして、とにかく、このお母さんが前日の夕食も用意してくれたうえ、朝食も用意してくれて、まだまだ元気だなと改めて感じるのでした。たかが40歳を超えたところで私は弱音を吐いていられませんね。
パートナーのお父さんも、エネルギッシュ。いつも車の運転をしてくれます。いくら運転が好きとはいえ、この旅行ではかなりの長距離を走ってもらうことに。そして、いくらご本人たちの企画旅行とはいえ・・・もう、頭が上がりません。
さてさて、この日のスケジュールですが、歴史と自然に触れ、港のある市街地を散策、夕食後はお待ちかねのゲーム!最後にサウナ。順番に振り返っていきます。
<オーランドの歴史と自然>

私たちが向かったのは、オーランドの東に位置するボマルスンド(Bomarsund)。ここには要塞跡があります。先に歴史の話でふれたように、1809年、スウェーデンは戦争でロシアに敗れ、オーランドがロシアの支配下に置かれるようになりました。この地を守るべく、ロシアは要塞を建てたのです。

現地の案内版によれば、この要塞は町のような機能があり、大砲の保管場所や軍の事務所だけでなく、教会やパン屋、住居、飲料水やトイレ用に使用する水をくむ井戸などひととおり揃うよう建設計画が進められたとのこと。ただ、完成することはなかったようで、1854年にイギリスとフランスが攻めてきた際に攻撃の的となってしまいました。このとき、スウェーデンはオーランドを取り戻すチャンスがあったようなのですが、オーランドが結局ロシア革命までロシアの支配下にあり続けたのにはどんな事情があったのでしょうか。。。

要塞跡は広い野原に、このようにしていくつか残っています。ちなみにこのブロック、6角形になっているところがありますが、これが丈夫な壁となったそうです。


要塞跡を抜け、高台に向かいました。
そこは砲塔があった場所。今でも大砲が残されていて、どこからイギリス軍などが攻めてきたか、など想像しながら、今では静かで美しい風景というものを眺めました。




こういう場所に訪れると、戦後の日本で生きてきた身として、毎度、戦争が想像し難く不思議でなりません。今でも各地で戦争が起きているのに、こうして私はかつてあった戦地で「昔はこうだったんだぁ」と自分なりの想像の仕方しかできない。自分の人生で、喧嘩したり、自分と考え方が全然違う人と出会ったり、とあったけれど、それはそれで、人間どうしは互いに似ている人たちもいるけれど、全然違う人たちはうんとたくさんいるから、その現実を受けれ入れてなんとかやってきた。でも、そうできない人たちがいる。領土がたくさんほしい、自分が信じる教えさえあればいい、それでどうして犠牲にならなきゃならない人が数えきれないほどいるのか。
考え始めるとキリがなくなりますね。



ボマルスンドで私たちはフィーカ(Fika=スウェーデン語でコーヒーと甘いものをいただくこと)をしました。少し風が強かったのですが、いいお天気に恵まれ、アウトドアでのフィーカがとても気持ちよかったです。
そのあと、私たちはもう一つの塔の跡地を見に行ってから、マリエハムン(Mariehamn)へ向かいました。




ボマルスンドでは、自然の中を歩いて戦争の痕跡を見ていくことになるので、心が癒されます。ただ、ご存知の方もいるかと思いますが、このように倒れた木があったら近づかないように注意してくださいね。つい好奇心や珍しいと思って近づきたくなりそうですが、いつこのバランスが崩れ下敷きになってしまうか分かりませんので。
<主都・マリエハムン(Mariehamn)でランチ>
オーランド住民のほとんどが暮らすというマリエハムン。私たちがまず向かったのはカフェ・ バーガストゥーガン(Bagarstugan)。みんなでランチタイム。このカフェがかわいくて、居心地もよくてツボでした。






そしてオーランドで初めて何かをオーダーするというタイミングで、「そうか、スウェーデン語でいいのか!」となんだか不思議。でも通貨はユーロなのでスウェーデンクローナではいくらになるか、気にしなければなりませんでした。ん?ここはスウェーデン?いやフィンランドか?
ショーケースにはケーキ。ランチも選びがいのあるメニューが揃っていました。私はサラダと迷いましたが、ホームメイドのパイに惹かれ、そちらを注文。ランチの前にフィーカもあったのでちょうどいいボリュームのランチで満足♪
ランチのあとは自由行動。パートナーと私はゆったり散歩を楽しみました。





マリエハムンを後にし、コテージへ向かう途中、スーパーに立ち寄りました。みんなで「カンタレラ(Kantareller=アンズタケ)、カンタレラ」と話しているなぁと思い「ん?季節外だがカンタレラが欲しいのか?」と私の頭の中は「?」だったのですが、まさかのスーパーの名前が Kantarellen(The アンズタケ)で、みんなキノコが欲しかったんじゃなくてこの店名のこと(カンタレレン)と言っていたんですね笑。可愛い名前のスーパーでした!

<コテージに戻って夕食、おさんぽ、そしてクイズ大会>
さて、自然、歴史、そして市街地と観光スポットを楽しんだあとは、みんなでコテージに戻ってきて夕食の時間。

こちらもパートナーのお母さん手作りのお料理。鶏肉を煮込んだものとご飯。カレーのようなシチューのような、クリーミーだけどさっぱりしていていくらでも食べたくなる夕食でした。いつもおかわりしちゃいます。そしてビールもすすむ。このときに私が持参したのはミッケラーの春っぽいビール!さわやかで食事とも合ったしとてもおいしかった〜。
お腹が満たされた私たちは、散歩へと出かけました。コテージからすぐの小高い場所で素敵な景色を堪能。




散歩から戻ると、いよいよこの旅行のメインイベント。お母さんの誕生日のお祝い&プレゼントとして、主役のリクエストどおり、ゲームを開催。家族の間であったお母さんの天然キャラエピソードをクイズ形式にしたものでした。「こんなことがありました。さてこのとき、お母さんは何て言った?」それに主役が答え、正解するとポイントがもらえます。お母さんは後日、そのポイントを利用してさまざまな家族サービスを受けられるというもの。
こうした遊び心のある面白い企画を思いつくパートナーと家族のセンス、大好きなんです。各クイズに採用された出来事がおこった当時は私は関わりありませんでしたが、どれを聞いても私でも笑えるものでしたし、主役含めみんなが大爆笑して、その笑顔や雰囲気で私も幸せな気持ちにさせてもらえました。


クイズ大会のあとにもお決まりのフィーカ。
夜は、ふたたび各自サウナを楽しみたい人、寝たい人、くつろぎたい人それぞれの時間を過ごしました。私はサウナで少々脱水状態になってしまいましたが、なんとか持ち堪えました笑。適度な水分補給や水浴びは大事ですね。。。
オーランドでの私たちの過ごし方(3日目、最終日)
いよいよ最終日。朝食後、何人かで散歩へ行きました。前日の夕方に行った高台の、さらに先を進んでいったのです。

このとき教えてもらったのが、その場所がスウェーデンのあるテレビドラマの撮影地の一つだったということ。すぐにピンときました!と同時に「見てよかった〜」と思ったのです。



全エピソードは見れていませんが、少しでも見ていたので、パートナーの家族とも盛り上がることができたし、現地を自分の目で見ることができて旅行中の感動が増しました!
そのドラマの原題ですが、『Vi på Saltkråkan』といいます。直訳すると「私たち、ソルトクローカン(Saltkråkan)にて」といった感じでしょう。1964年の作品で、脚本は『長くつ下のピッピ』や『やかまし村の子どもたち』などで知られるスウェーデン人作家のアストリッド・リンドグレーン(Astrid Lindgren)。
この記事を執筆している現在(2026年6月)、スウェーデンの公共テレビのネットサービスで、そのドラマが配信されています(以下リンク先)。しかしながら、視聴はスウェーデン国内でしかできないようです。

YouTube に少しだけイントロとして挙げられているので、ドラマの雰囲気は、わかるかもしれません。
このドラマの中でも、今回のオーランド旅行で気に入った黄色のお花がたくさん映っていました。
『Vi på Saltkråkan』について少し調べてみたところ、日本語で岩波書店から本が出ていました!タイトルは『わたしたちの島で』となっています。
この岩波書店さんのサイトから、あらすじを引用させていただきます。
バルト海に浮かぶウミガラス島に,メルケルソン一家がやってきた.子どもみたいな父親と,4人の子どもたちは,海辺の遊びや動物に大はしゃぎ.まるまるとして元気な島の女の子チョルベンと,その忠実な犬の水夫さんともすぐに仲良くなる.生き物の命の輝き,人々の心のあたたかさが鮮やかな印象を残す1冊.
さて、散歩を終え、コテージを簡単に掃除、荷造りを完了させるとまもなく出発の時間となりました。ふたたび車ごとフェリーに乗り、ストックホルムを経由して帰路へ。


長時間ドライブ、運転してくれたパートナーのお父さんに感謝です。
まとめ:フィンランド?スウェーデン?どっちを感じた?

オーランド旅行記、いかがでしたでしょうか。今回私たちが行ったエリアを上記の地図で1〜4の番号をふったので、ご参考まで。
- Eckerö:エッケロー。スウェーデンとの航路をつなぐポイント
- Käringsund:シャーリングスンド。今回泊まったエリア
- Bomarsund:ボマルスンド。要塞があるエリア
- Mariehamn:マリエハムン。主都
かつてはスウェーデンだったフィンランド領、オーランド。今でもスウェーデン語の使用が守られている島々。滞在中、フィンランドを感じたかと聞かれれば、「うーん」ですが、コテージにサウナがあったので、フィンランドらしかったかもしれませんね。サウナはスウェーデンでもよくありますが。
ユーロを使ったときだけ「あ、ここはスウェーデンじゃないんだった」と思ったくらいでした。あと1時間の時差ですかね。
それ以外はスウェーデン語を使ったし、聞こえてきたし、読んだし・・・ということで、スウェーデン感満載でした笑。
ですが、オーランドは美しい自然がある!それが最高。癒しの旅となりました。機会がある方、ぜひ行ってみてください。それでは、今回もブログ記事を読んでくださりありがとうございます。
また是非遊びにきてくださいね。


