Hallå! (スウェーデン語でこんにちは。英語のHelloです!)
現在はスウェーデン在住でスウェーデン語を勉強しながら日々奮闘しているアラフォーです。その前は2022年から約2年半、デンマークに住んでいました。
私の北欧好きは実はデンマークから始まっていて、2022年よりも前から渡航経験があります。合計で8回、うち2回は3ヶ月以上のビザが必要な滞在、1回はビザなし90日以内で数週間滞在、その他は、姉妹都市ブログラム参加や旅行で数日ずつです。「これだけ渡航経験があるなら直近の2022年のときのビザ取得は簡単だったんじゃないの?」と思われる方がいるかもしれませんが、実はそう簡単ではなくて泣きまくりました (笑)。
そこで本記事では、学生ビザ取得にあたってどんな苦労があったか、またどのようにして無事ビザ取得にいたったか、心の支えはどうしていたかなどについてお話しします。
申し込んだ3校のうちギリギリ1校合格!
前回の記事でビジネススクール3校に申し込んだことをお伝えしました。

ありがたいことに、そのうちギリギリ1校合格(申し込み受理)となったのです。申し込みにあたって、テストはなく、必要書類とモチベーションレターを受験料(750 DKK + 手数料)と併せて送りました。その書類が通過すれば、オンライン面談をして入学できるかどうかが決まる流れでした。

以下に希望校の申し込みから結果発表までの時系列を記載します。
- 2021年9月下旬3校同時期に申し込み
- 同年10月初旬1校から面談の招待
- 同年11月初旬2校の結果発表
面談をした学校から合格通知、もう1校は不合格
- 同年11月下旬最後の1校の結果発表
不合格
学生ビザの申し込み
ステップ1:ビザのオンライン申請
学生ビザ (通称 “ST1”:学生としての居住許可および制限付きの労働許可) は、合格して自分が入学すると決めた学校をとおして申請開始となりました。 入学受け入れの通知には、授業料一部の支払いとビザ申請費用 (2,080 DKK) の支払いについても記載されていて、通知によれば
「授業料とビザ申請費用の振り込みが確認できましたら、ビザ申請についての手順をEメールにてお知らせします。申請はオンラインで、2項目に分かれています」
とのこと。学生ビザ申請項目には、Part 1 と Part 2 があります。
- Part 1:学校が必要事項を入力。そこで申請者本人が Part 2 で申請を進めるためのアカウントが発行される。
- Part 2:申請者本人が、受け取ったアカウント情報でオンライン申請システムにログイン。Part 2 のフォーマットに必要事項を入力し、Part 1 と Part 2 両方に電子サインをして送信、申請を完了させる。
また、その通知には、
「オンライン申請が終わり次第すぐに、デンマーク大使館または総領事館で居住許可申請の予約を取ること」
とも記載されていました。ただ、デンマーク大使館ではその手続きはおこなっておらず、公式パートナーである VFS Global が「デンマークビザ申請センター」 (東京都港区) として代行しています。
ステップ2:ビザ申請センターで指紋登録
11月中旬、私は最後の1校の結果発表を待たずに合格通知をもらった学校へ行くことを決め(コースは翌2022年1月後半スタート)、ビザ申請を進め、デンマークビザ申請センター訪問の予約を取りました。


予約日は11月下旬でした。ビザ申請センターは昔通っていた高校や職場と同じ区で、周辺の雰囲気に懐かしさを感じながら、また秋の空気を感じながら、これから挑戦しようとしていることへの興奮と不安と、これまでの自分の振り返りでしみじみしていたのと、いろんな感情が入り混じっていました。
ビザ申請センターへの持ち物は以下の通り。
- デンマーク移民局から届いた指定のメールコピー
- 有効なパスポート原本とパスポート写真ページのコピー
- ビザ申請センターに支払う手数料と郵送サービス料
- ビザ申請センター訪問の予約表
- デンマーク移民局に支払った申請料の領収書
ビザ申請センターで行ったのは、書類確認、写真撮影、そしてバイオメトリクス(生体認証)登録で指紋をとりました。
ステップ3の前に:出国準備に向けたバタバタな日々
11月に「デンマーク、本当に行くぞ!」と決まってから翌年の1月日本出国までは大忙しでした。
- 家族に自分の人生観とデンマークへの思いを再度共有*
- 職場に事情を説明(入学希望申請をしていたときから人事には相談済み*):
離職の時期を相談 - 自宅退去&引っ越し計画:
自宅の賃貸や光熱費などの解約ステップやスケジュールを整理、計画 - いらなくなる家具の行き先を決める(売る・譲る)
- 大事に持っていたデンマークやヨーロッパのアンティーク食器や雑貨などの行き先も決める(売る・譲る)
- デンマーク行きの片道チケットを検索→クリスマスぐらいにエミレーツのチケットを購入
- 出発までにかかる出費と収入を再度計算し、実際にどれだけの費用を持って行くことになるかを再確認
- 当時加入していた保険や積み立て NISA などの条件を確認
- デンマーク滞在中にかける保険を確認
- デンマークで契約するアパートを検討、決定
<*余談その1>
私の両親や一部の親戚は、私に日本で暮らしてほしいという思いを持っていました。そのため、とくに両親には、私が日本を離れて暮らすという前もった心構えをしてもらう必要がありました。このあたりは家庭によって、また個人の性格によっていろいろかと思います。過去に私の友人の中には、「自分で決めたことだし、反対されるのも嫌だから家族には海外へ出発前ギリギリになってから話した」と言う人もいましたし、「家族はどんどん海外に行けという意見だった」と言う人もいました。
「日本で安定した職について、いずれは結婚して幸せな家庭を築く」ことが私の幸せだと思ってくれていました。また、親戚としては「私が常にそばにいて両親の手伝いをする」というのが理想だったようです。親戚とはそこまで深い話をしていませんが、これまで40年近く生きてきたうちの30年以上、自営業である実家暮らしをして親戚も常にそばにいた私としては分かることがあるのです(もちろん分からないこともあるでしょうが)。
<*余談その2>
当時働いていた職場には、海外で新たな人生の挑戦をすることを応援してくれる理解ある人事がいました。私は派遣社員だったのですが「正社員にならないか」という話をいただいたのが、ちょうど11月くらいだっと思います。どのタイミングでデンマーク行きを計画していることを話そうか迷っていたので「今だ」と思ってそのときに思い切って伝えました。
「まだ合格通知は出ていないんですけど、こういう夢があって、こういう計画をしているんです。だからもしかしたら離職するかもしれません」
と。それからは、合格通知があった際にはすぐにその人事に伝え、離職の時期を一緒に決めていただきました。本来なら、派遣の担当者を経由するのですが、当時の職場とはそれだけ信頼関係ができていたと言えます。職場の人事と話してから、派遣の担当者に離職の意向を話しました。ルール違反だと思いますが、私には職場でできていた信頼関係の方が大きいものでしたし、人事に感謝していますし、今回の挑戦は、もうその派遣会社には所属しないぞというくらいの思いを持って臨んでいました。


そして、12月に入ってからは、学校から入学予定者向けの説明会としてウェビナーがありました。
大忙しな日々はあっという間に過ぎていき、出国日が近づいてきた頃は、嫌な予感の始まりでした。
1月初旬、学校が代理で移民局からの通知を受け取ったとのことで、それを私に転送してくれました。内容はなんと、書類が不足しているとのこと。しかし該当の書類を確認すると「オンライン申請のときに送ったのにおかしいな」と思わされるものばかりでした。なんとなく嫌な予感がしつつも、指定のリンク先から再送しました。
また通知には、
「われわれ移民局は日本のデンマーク大使館に、あなたとの面談を行うことを依頼しました」
との記載も。。。
新年早々ですが、私は早速以下の件をデンマーク大使館にメールで伝えました。
- 12月にデンマーク移民局に電話で「学校スタートに間に合うようデンマークには1/13に到着し、デンマークのアパートに1/17までには入る予定のため、申請結果通知は日本ではなくデンマークの住所に送ってください」という話をし、承諾を得ている
- デンマーク渡航へのスケジュールの関係から、大使館との面談をすぐにできるか
デンマーク大使館は即、返事をくださいました。ちなみに私のメールは日本語でしたが、大使館から届いた返事は英語。
「ビザ申請センターでスカイプを利用して英語のオンライン面談をするので訪問予約をとってください」
とのこと。
運良く、このメールの次の日に予約を取ることができました。また私自身、都内在住でビザ申請センターへすぐに行ける状態だったのもラッキーだったかと思います。
ステップ3:デンマーク大使館とオンライン面談
ビザ申請センターで緊張のオンライン面談を行いました。デンマークの学生ビザ申請では、少し例外のステップかと思います。
ただ内容は、いたってシンプル。自己紹介や、デンマークで何をしたいかなどを英語で話し、わりとスムーズに終了しました。
これで、ビザがおりると信じていました。
デンマークへの出発まで残り約1週間。多少の不安はあったものの、この間に連絡が来なくても学校が始まる前にデンマークで契約したアパート宛に結果通知が届くだろうと信じていましたのです。
「だって、そもそも学校の入学許可が降りているんだし、授業料も一部払ったんだから」
と、何度も何度も自分に言い聞かせ「きっとビザがおりる」と信じ続けるしかありませんでした。
学生ビザの申請結果が分かる前にデンマークへ渡航
「私はこれまで何度もデンマークに行ったことがある。住んだこともある。今回もビザがおりるはず。」
そう信じて(期待して)、予定通りデンマークへ向けて出発しました。
当時はまだコロナ禍で海外渡航にコロナの検査も必要、そこで引っかかったら出国できないという別の不安もありました。しかし出国そしてデンマークへの入国ができたら、その心配はなくなりました。デンマークでも、まだ商業施設内や交通機関などではマスクの着用が必要でしたが、日本と比べたら町中にはマスクをしていない人もいましたし、規制も緩んできている様子でした。
私の学校は Kolding (コリン) という町にあったのですが、まずコペンハーゲンに到着して3日間は、友人宅でお世話になってリラックスした時間を過ごさせてもらいました。規制が緩みはじめていたと言っても、コロナ禍のコペンハーゲンは (そもそも1月で閑散期とはいえ) 自分がこれまで見てきたような賑わいはなく、静かでした。
コペンハーゲンでの滞在を終えると、電車で Kolding へ向かいました。契約したアパートの入居開始日前の2泊ホテルに滞在。そしていよいよアパートの鍵を取りに行く日と、学校のオリエンテーションの日が近づきました。
デンマークに来てから約5日が経った頃。ビザの結果はまだ届いていませんでした。
移民局からの思いもよらぬ手紙
学校からオリエンテーションの日についての連絡を受けた頃、別の件名で学校からもう1通のメールを受け取りました。ビザに関して移民局からの手紙が届いたとのこと。
PDF化されたその手紙を見ると、、、「Hearing Request」という題。
移民局が追加で私に聞くべきことがあったのです。内容は次のとおり(要約)。
あたなが学ぼうとしている学位は、一般的に言う「学士 (Barchelor)」と同等のレベルのものです。あなたの学歴を見るとすでに日本で学士を取得していますので、今から学ぼうとしているコースでは、学びに進展はありません。つきましては、ビザ審査のため、次の質問への回答を2週間以内に返信ください。
- 学生としての居住ビザを取る目的は何か。
- なぜその分野での学業を進めることにしたのか。
- なぜデンマークでその教育を受けることにしたのか。
- なぜ過去に学士を取得しているのに、今それと同等の学位を取ろうとしているのか。
- このコースが将来の自身のキャリアをどう発展させるのか。
- このコースを修了した後の計画はどのようなものか。
この質問事項を読んだとき、「学生ビザをとってデンマークに滞在するって、そんな甘いもんじゃないんだな」と改めて現実を突きつけらた思いで、なんだか自分がこれまで考えて考えて決断してきた行動を恥ずかしく思うようになりました。自己嫌悪です。でも私がデンマークで、そのコース以上の学位ではなく「学士と同等の学位」を取るコースを選んだのは、その分野で「学士 (Barchelor)」も「修士 (Master)」も応募要件を満たせなかったからなのです。
具体的には、応募要件の中にいくつか特定の科目が記載されていて、そのすべてを受講済みである費用がありました。ほぼすべての応募要件を満たしていたものの、「マーケティング」の授業だけが、私が卒業した大学にはなかったのです。そこで、「マーケティング受講済み」が応募要件に入っていないコースを選んだのです。
「マーケティング受講済み」が応募要件にある大学あてに問い合わせをしたかったのですが、余裕がなかったのが正直なところです*。でも私のような事態にあうことを避けるためにも、少しでも気に掛かったことは直接問い合わせることをお勧めします。もし時間に余裕があったら次のように問い合わせたかったです。
「日本の大学ではこの分野で学士を取得、こうした理由で修士のコースを取りたいが、応募要件に <マーケティングを受講済みであること> とある。私の卒業して大学は要件にあるそれ以外全ての科目があったが、マーケティングだけは無かった。ただ、これまでの職場でマーケティングとつながる業務もしてきた。それでも応募要件に満たしていないという理由で申し込みは却下されるのか、あるいはその他の提出物やモチベーションレターで総合的に審査してもらえるものか。」
<*なぜ当時の私に時間がなかったのか?>

自分が申し込める学校をリサーチしていたときにこのような情報を様々な学校のウェブサイトで見つけたからです。
デンマークの高等教育(専門学校や大学)では2022年秋以降、英語で授業を行うコースがなくなるとのこと。デンマークの大学やビジネススクールでは、春学期スタート (1月から2月スタート) と秋学期スタート (9月スタート) とそれぞれのコースがあります。私が改めてデンマーク暮らしに再挑戦しようと決めたコロナ禍で見つけたこの情報。
「それなら合格でも不合格でもとにかくまずは2022年春学期のコースを申し込まないと英語の授業がなくなり、挑戦はもっと厳しくなる!」と思い、自分を鼓舞して挑戦を開始したのです。申し込み期限も迫っていたので、時間の余裕はあまりありませんでした。
また、デンマークのビジネススクールでも、たまに先生方とこの話題になりました。先生方はもちろん、何年も英語でインターナショナルの生徒に授業をおこなってきていたので、この政府の決断にはがっかりしていました。ある先生は、「でもいつかまた (政府が変われば、英語の授業は) 復活するかもしれない」とも言っていました。個人的には、政府の決断に矛盾を感じています。なぜなら、
「デンマークは労働者不足」
「デンマークの経済発展には海外からの優良なスキルをもった人材が必要」
「EU圏外から労働者を雇用することを政府も支援」
などという記事を見てきたからです。「じゃあ英語の授業潰しちゃダメじゃない?」と思ったのです。
ただ、企業がEU圏外から労働者を雇う際には、労働許可証の申請および発行においてコストもかかってきます。EU圏外の市民がデンマークで仕事を見つけ労働許可証を申請する際にいろいろな要件がありますが、「給料が〇〇クローネ以上だと申請できますよ」という規定もあります。そしてこの金額はだんだん上がってきていて、企業はどのように政府から支援を受けられるのか調べきれていませんが、この辺りもネックだと感じている企業や労働者がいます。
当時私が読んだ記事は見つけられなかったのですが、以下の記事も参考になるのでご興味ある方は読んでみてください!
‘Highly skilled foreign manpower boosts growth and welfare‘ (The Local Denmark: ニュースサイト)
‘Denmark may need to look ‘outside of EU’ for construction workforce‘ (Beskæftigelsesministeriet : デンマークの労働省サイト内)
困ったときは1人で抱えない
当時の心の支え ー 家族を心配させたくないとき
さて、ビザ申請の話に戻りますが、移民局からのヒアリングを要求されたときはとてもショックで、いろいろと悪い方向にばかり考えてしまいがちでした。アパートに住み始めたにもかかわらず、ビザがおりるか分からない状況になってしまったので家具もキッチン用品も買えない。少しの希望を持って、最低限必要なものだけを揃え、簡易的な食事(パンとサラダなど)で毎日を済ませていました。また、そもそもアパート入居時からいりなりベッドもあるわけでもないということで、コペンハーゲンの友人が寝袋を貸してくれていたので、しばらくはそれで寝ていました (悲)。

私の心はモヤモヤでいっぱいでした。泣く日もありました。でも、日本にいる家族には
「まだビザがもらえなくて何もできないんだよ〜だからまだ寝袋で寝てるよ、ははは〜まぁ信じて待つしかないねぇ!学校の授業料も払ってるし。なんか移民局は人足りなくてそれで余計時間もかかってるらしいよぉ」
とできるだけ心配かけないよう明るく振舞いました。そうでないと「もう帰ってらっしゃい」とか言われかねなかったので (笑)。
では家族に頼れないとき、どうするか。
私は家族以外で周囲にいる人に救いを求めます。
学校のアドミン
当時は、学校で留学生の面談から授業開始までのサポートをおこなっていたアドミン、デンマークに再挑戦と決めてからずっと進捗状況を話してきた友人たちが私の心の支えでした。
アドミンは、私の代理で移民局から直接通知を受け取っていたので、状況を全て把握していますし、これまでもなかなかビザがおりなかった他の留学生のケースを見てきています。また自身もかつてはデンマークに渡ってきた元留学生でした。
そのアドミンは私と一緒になってビザがすぐおりるようサポートしてくれました。
などと言ってくれたのです。
ちなみにヒアリングの回答は、友人にも読んでもらいました。今だったら ChatGPT に添削してもらっていたかもしれませんね。でも生の人間から正直な感想を聞くのもいいと思います。
そしてヒアリングを移民局に送信した翌朝、金曜日のことでした。移民局へ電話。2時間待って、いよいよ繋がったと思った、「ツーツー」といって切れてしまいました。。。悲しすぎる。諦めず再度電話。すると「30人待っています」という自動音声。振り出しに戻った感じで、結局その日は会話することはできませんでした。どうしてもその週に電話したかったのに。。。アドミンに励まされ、月曜日に仕切り直すことに。「少しでも週末を楽しんで!」と言ってくれました。


友人
当時ほとんど全ての状況を話していた友人が5人くらいいました。本当に当時の私の支えでした。
一緒になって「なんで?!授業料払ったのに!学校は入学していいよって言ってくれてるのに!」と一緒になってモヤモヤしてくれた友人。
「きっと大丈夫!私は信じているから!」と言ってくれた友人。
「これはおかしい。弁護士に相談した方がいい。」とまで言ってくれた友人。
「移民局は正しいプロセスをふんでいるだけだろうから、きっと大丈夫。諦めちゃだめだ。ヨーロッパはたくさんの移民を簡単に住まわせていて、なぜここになってこんな慎重に審査されるのか納得できない」と言ってくれた友人もいました。
この中で、私のビザ問題に関する話にフォーカスしつつも、冗談もたくさん言って気分を和ませてくれた人がいました。この人は、デンマークのことが分からないから協力できなくて残念だと言ってくれましたが、毎日毎日、単なる日常の話もできて私の大きな心の支えでした。そして彼が、今一緒に住んでいるサンボです。
周囲を巻き込むときに注意したいこと
周囲の人に救いを求める。そう言いましたが、ここで私が気をつけているのは、自分が悲劇のヒロインになり過ぎないことです。周りの人にも人生があります。辛いこともあれば楽しいこともあって、暇なときもあれば忙しいときもある。自分ばかりが辛くてかわいそうなのではありません。でも、誰かに話を聞いてほしい。また、自分はこのままでいいのか、それとも変わる必要があるのか、勇気がまだ足りないか、もう少し自信を持っていいのかなど自身の方向性のヒントを得られたりもします。
本当の友人とは、「親しき中にも礼儀あり」をいつも心に、遠慮し過ぎない程度のほどよい距離感で、お互い様で、進捗報告をし合いたいですし、困ったときは助け合いたいと思っています。
私が当時頼りにしていた友人は、皆、お互いに助け合える存在でした。また彼らもいろいろな海外を見てきた人たちでした。
いろいろなポジション、役割の友人が皆さんの周りにもいるかと思います。皆さんも、彼らにとって、ある位置にいてある役割を無意識のうちに担っています。だから、どんなに好きな、大切な友人でも、例えば「友人Aには家庭がある。子供もまだ小さい。私のことをいつも親身になって聞いてくれるけど、忙しいときは返事もなかなか来ない。友人Aには今は何も言わないでおこう」とか考えます。また、別の友人が自分と同じ独身だからと言って自分と同じタイミングで時間が空いているわけではありませんので「友人Bから返事が来ない。私は前、友人Bが困っていたときはすぐに返事したのに!」など、機嫌を損ねないようにしましょう。あとでちゃんと返事をくれるはずです。焦らず今できる他のことをしましょう。
もし「周りに誰もいない」と思う方。もしかしたら1人くらいはいるかもしれません。例えば私が友人ゼロだったとしても、当時、少なくとも学校のアドミンはサポートしてくれました。また例えば海外で学生になるわけでなく、ワーホリだったとしら?それでも今はソーシャルメディアにコミュニティがあるので、離れていてもきっと誰かが心の支えになってくれると私は信じています。
自分で決断した道でも辛いときは1人で抱えないこと
今振り返っても、当時の私に周囲の支えがなかったら毎日泣いて泣いて、絶望的になって、自己嫌悪になって、どうしようもなかったかと思います。あるいはもっと強い自分になっていたかもしれません?分かりませんが、間違いなく「私は1人じゃない」と思えたことが精神的に強くいられた理由です。
歳を重ねれば重ねるほど、自立したいですし、自己責任で選択したことについて人に迷惑をかけてはいけない、人を振り回してはいけないなどとかんがえます(少なくとも私は)。でも、人は大人になってもどこかで誰かと繋がっていますし、意識的にも無意識的にもお互いを助け合って暮らしています。自営業の人だって、お客さんがいないと成り立たないでしょう。1人じゃありません。学校や職場でいろんな人と関わっても一人暮らしの自宅に戻れば孤独を感じることもあるかもしれません。でも、辛いときは寄り添ってくれる人がきっといるはずです。
以前、お会いしたことのない方から、共通の知人を通じて連絡をいただいたことがありました。すでにデンマークでの暮らしを開始したにもかかわらず、デンマークのビザが期待に反してなかなかおりない状況にある方で、私も似たような状況にあったからどんな経験をしたか聞きたいという話でした。私は、自分のケースはその方とは全く一緒ではないとすぐに分かりましたが、少しでも寄り添うことができたらという思いで、その方の状況を聞いて、こちらからお伝えできることをお伝えしました。きっと期待されたような助けにはならなかったとは思うのですが、少しでも「私は1人じゃない」と思ってもらえたらよかったかなと思います。
実はこの記事は、もしかしたら、この方の他にもあと1人でも2人でもビザ取得に時間がかかって不安を抱えている方がいるかもしれないという思いで書くことに決めたのです。
こうしてデンマークの学生ビザが無事おりた
オリエンテーションが終わり、1月27日に正式な授業が始まってもビザ申請の結果待ちだった私は、授業料を払ったにもかかわらず、授業には出席させてもらえませんでした。ビザがないとその学校の学生として扱ってもらえなかったのです。ルールはルールなので、仕方ありません。
ただ、さすがに寝袋に耐えかねた私。また、「希望を持つ意味でもせめて薄いマットレスと掛け布団と枕くらいは買っちゃえ!」と祈願も込めて IKEA で数点購入しました。


その後も、学校のアドミンが移民局に電話してくれることもありました。そして2月早々、アドミンから「今、最後の審査をしているところで間もなく結果が出るみたいです。移民局もコロナ禍で人員不足で忙しい様子」とのこと。それから本当に間もなくして、結果が出ました。無事、学生ビザがおりたのです!
2月もまだオリエンテーションの一環として私も参加できる時間帯がありました。その日、アドミンは教室のドアをノックして私を呼びました。アドミンの笑顔からすぐに何のことかわかりました。一緒に喜んでハグをして、私は感謝を伝えました。
それからようやく、CPR (個人番号) 取得の申請に行けたり、本格的に家具を購入したり、キッチンでいろいろな温かい料理やお菓子作りを楽しむことができるようになったのです。CPR については、過去に住んでいたことがあったので、コロナ禍でいろいろな手続きが遅れていてもスムーズでした。自治体の事務員に「前の記録があるから CPR カードはすぐに発行されると思いますよ」と行ってもらえました。


まとめ
最後に今回の学生ビザ申請のスケジュールをおさらいします。
- 2021年11月
- 2021年11月
- 2022年1月
直前にリクエストされた追加書類を提出
- 2022年1月
- 2022年2月
どうでしょうか?短いですか?長いですか?私は長く感じました。学校の新学期が始まるタイミングに間に合わなかったのがとても残念でした。でも何とか無事おりたことで一安心できましたね。
昔、デンマークのフォルケホイコーレに滞在したときは、学生ビザを取るのに全く苦労しませんでした。今回も簡単に取れると思っていたら大違い。英語の授業はなくなるわ、ビザ取得があまり簡単ではなくなるわ、それでも移民はどんどん増えているわで「時代が変わったな」と切なくなりました。「もしかしたらもうデンマークにウェルカムされてないかも」とまで思いました。いつも片想い、でも大好きなデンマーク。ですが、このときは複雑な気持ちでした。
また、ビザが取れても、あとは全てが順風満帆というわけではなかった当時の滞在。もちろん楽しんだ時間もあります。どんなふうに暮らしていたか、また別の記事でお話しできればと思います。
今回も、読んでいただきありがとうございます!