“Why not?” 精神で世界を広げよう

アート&思考

新天地での暮らしがスタートしたり、日常に変化や刺激が欲しいと思ったりするとき、新たな出会いや面白そうなイベントを探したりしますか?お誘いをいただく機会もあるかもしれませんね。そんなとき、みなさんはすぐにそこへ飛び込むことができますか?それとも自分だけの時間を選びますか?

私は悩むタイプです。

新しい出会いが欲しいのに、人と繋がりたいのに、学びが欲しいのに、先に悩んでしまってその一歩を踏み出すことをやめてしまったり、時間がかかったりするのです。

ただ、これまで何度か海外生活を経験し、さまざまな国籍の方々と出会い時間を共にする中で、流れに乗ってみると世界が広がると度々学びました。そこでキーワードとなったのが “Why not?” という英語の表現です。

この記事では、私のように自分の時間が大事、やりたいことが沢山ある、でも新たな学びや出会いも大事という方向けに、ときどき流れに乗ってみることのポジティブ面についてお話ししていきます。

なかなか変わらなかった真面目すぎた過去の自分

私は昔から悲観主義者というか、完璧主義というか、自分が描いた理想から少しでもずれていると、否定から入ることがあるタイプでした。不安や心配からくるのだと思います。例えば、定期テストや受験前など「今は勉強が一番大事、遊びに行ったら点数が悪くなる、成績が上がらない」などと考えていました。一人で勉強に集中することも好きでしたし、塾などで学校とは別に勉強仲間がいることも楽しかったのです。そして当時のテストのそこそこいい結果は、「あまり遊びに行かないで勉強をし続けていたから得られたもの」と思い込んでいました。そして「かといって一番じゃない。満点じゃない。ということは遊んでないでもっと勉強しなくてはいけない」と考えていました。私はもともと友達と一緒に楽しいことをして笑って過ごすのが大好きです。ただ、テストの成績を落とせないというプレッシャーが、「遊べない」「勉強しなくちゃ」と考えるばかりの自分を作り上げていたので、周りからは「真面目だな」という印象を持たれていたと思います。

ただ、そんな考えも、自分の世界が広がるにつれ、変わっていきました。

小学校も中学校も、どの学年も2クラスずつだけの小さな世界で生きてきたので、高校や大学に進んで、いろいろなタイプの学生に会うことはすごく刺激的でした。遊びながらも大事なタイミングではいい成績を出す先輩や同級生の存在を知ったときは、オン・オフの切り替えが大事だということに気付かされました。

そうは言っても、自分はなかなか変わりませんでした。

例えば、社会人になってから「デンマークに住む!」と意気込んで初めて海外長期滞在を経験したときのことです。最初は寄宿制の学校で暮らしていたのですが、授業時間以外、他の学生たちがのびのびと自由時間を過ごす一方で、私は自分の部屋に引きこもっていることが多かったです。「英語とデンマーク語を勉強しなくちゃいけない」「自分の創作活動をがんばりたい」「将来を考えなくちゃいけない」そういう思考が自分の中で大半を占めていたかもしれません。また、ホームシック気味だったのか、高齢の祖母を心配したり、祖母を介護する家族に罪悪感を感じることもありました。私も介護を手伝っていたので、一人抜けると他の家族の負担がどれだけ大きくなるか予想できたからです。さらには、家族ではないのですが、日本にいる大切な人が難病を患い、とても悲しく複雑な気持ちも抱えるようになりました。そうしたさまざまな状況が重なって、軽く病み気味となり、1番のリラックス時間となりそうなヨガのクラスまで頻繁に休むようになっていました。週末のパーティー参加も、めんどくさいと感じるようになっていました。「せっかくデンマークに来て自分の夢に挑戦しているけど、日本では大変な思いをしている人がいる。私は、楽しんでいていいのか?」そう思うようになっていました。

いろいろな感情と葛藤しながらも、デンマークでは同期の学生に恵まれ、ありがたいことに多くの学びや気づきがありました。当時その学生生活の終了前後は「ここでは何も学べなかった」と、今思えば誰様だという感じですが、そこでの生活をどこか他人のせいにしていたと思います。でも、あとになって振り返りをしたとき、「あのとき自分がみんなの輪に入っていかなかった」「自分の語学力に自信がなくて無口でいることが多かった」「写真ばっかり撮ってみんなとの会話の時間をそんなに重要視していなかったかもしれない」「写真ばかり撮っていたことでどこか客観視ばかりしていて、主観的になれず自分が選んだその暮らしの主人公が自分であるという思考を持てなかった」と気づいたのです。すべて自分で選んだ行動の結果でした。大きく後悔しました。そこで、「次はそんな後悔を絶対しない」と決めたのでした。

イギリスでよく行ったカフェ。一人カフェで作業するのも好きなのです。

それから3年後、イギリスに2ヶ月ほど滞在したときは、目的は英語力向上で英語学校に通っていましたが、楽しむことを優先するようにしました。「できるだけ人と交流する」と決め、授業の休憩時間や、アパートの共有スペースでもできるだけ人と話し、同じアパートから同じ学校に通う学生とは一緒に登下校をしました。すると、語学力だけでなく、その暮らしがどんどん良くなっていくように感じることができたのです。目の前にある「今の時間」が日々、主観的にも客観的にも繰り広げられ、刺激的なイギリス生活となりました。たった2ヶ月でしたが、友達と一緒に過ごす予定を立てることも、誘いをいただくことも頻繁にあり、英語の表現 “Why not?” が、みんなの会話の中で大活躍でした。

“Why not?” 精神で自分と外の世界を繋げる

まず、“Why not?” という表現に馴染みがない方は、こちらの解説がおすすめです。記事内の、特に動画レッスンが分かりやすいです。

「Why not」を使いこなそう』(Hapa Eikaiwa 英語学習ブログ)

次に、私が経験したイギリス生活で “Why not?” が使われたシーンの例を挙げます。

友人
友人

友達が今晩クラブに行くって言ってるんだけど、Ryokoも一緒に行きたい?

Ryoko
Ryoko

えー、、、うーん(どうしようかなぁ)。

心の中では、

急な誘いだなぁ。今晩やりたいことあるし早く寝たいんだよなぁ。節約もしたいし、、いくら使うことになるんだろう。。安全かなぁ。。

という思いと

いやいや、それが本当に1番の優先事項?何のためにここに来た?デンマークでの教訓はどうした?

という思いの中で揺れ動いていました。すると

友人
友人

Why not?! 行こうよ!

と言われ、それもそうだよねと思い返し

Ryoko
Ryoko

Yeah, why not…

と返したのでした。当時私は29歳。実は日本でも行ったことのないクラブ、、イギリスが私のクラブ体験デビューの国でした笑。

他にも、

友人
友人

今週末、隣の街に行ってみようって話になってるんだけど、Ryokoも一緒に行きたい?

Ryoko
Ryoko

うん行く!Why not?

こうして友達と一緒に過ごしても、自分だけの時間は確実にあることに気づきました。もちろん時と場合、人との相性によることもありますが、限られた時間で、たまたま出会った人たちと同じ時間を共有して、文化の違いを学び合い、社交性や会話力も自然に鍛えられるような環境は、ありがたいものだと思っています。そうした選択肢があるのに、「いつでも自分だけの時間を優先するのはどうなのか?」「どうしても自分だけの時間が必要か?」「そのときしかできないこととは?」を “Why not” という表現とともに自分に問いかける癖をこの頃からつけ始めました。

また、自分から相手を誘って、相手も “Why not” で誘いに答えてくれることもよくありました。私は人を誘うのが少し苦手です。というのも、「断られたらショック」「自分だけの時間が欲しい」という思いがよぎるからです。でも、海外経験を通して「もし誘いに答えてくれたらその人と一緒の時間が過ごせる、いいじゃん!もし相手が都合悪ければ、一人の時間が作れる、それもいいじゃん!」と臨機応変になってきたと思います。

友人
友人

このあと何か予定あるの?

Ryoko
Ryoko

お気に入りのカフェがあって、そこに行こうかなって。

Ryoko
Ryoko

(一人時間も楽しみたいけど、、この展開は、一応誘った方がいいか?)

Ryoko
Ryoko

、、、一緒に、行きたい?

友人
友人

Sure, why not?

相手は即答、でした笑。

カフェで友達と過ごす時間もいいものです。

とはいえイエスマンにはならない

“Why not” 精神で、世界を広げ、誰かと今の時間を楽しむことの利点を語りました。しかし、自分がそこにいる目的や大事にしたい「芯」となるものを忘れずに、自分を見失ってしまわないようにすることも大切です。だから何でも「イエス」とは言わないようにしています。

イエスマンとは基本的に何か頼まれたりしたときに「はい、いいですよ」とすぐに従ってしまったり、批判や注意を受けたときに「はい(すみません/その通りです)」と反論もせずにそのままを受け取ってしまったりする人のことを言います。

私がここで言いたいのは、もしかしたらイエスマンというかオーケーマンとでも言いましょうか。誘いには何でも乗って、気づいたら自分の目的とはズレたことばかりしていたり、自分がしなくてはならないことも時間がなくてできなくなってしまったり、そうしたことは避けたいといつも思っています。

特に私は自分自身、人よりスローだと思っています。だからこそ、勉強する時間や自分と向き合う時間も私にとっては大事で、考えや夢などをノートに書き出す時間もときどき作っています。それもあってか、“Why not” 精神をもちつつ、自分を見失わないように、誘いを断るときは断る、イエス・ノーをはっきりさせることが前よりできるようになったと思っています。

まとめ

今回は、「自分の時間が大事、やりたいことが沢山ある、でも新たな学びや出会いも大事」という方向けに “Why not?” 精神を持つことのすすめについて書きました。少しでも似たようなお悩みを持つ方のお役に立てたら幸いです。自分自身と向き合いながらも、世界を広げて、ぜひ人生をより楽しいものにしていきましょうね。

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